学校生活
2025 はつとんWeekly(校長より①)
『本質を問い、つながりで世界をとらえる』
初芝富田林中学校・高等学校
校 長 安田 悦司
2025年度が始まり1学期が終わろうとしています。
数年前のコロナ禍、我々は個と世界が実はとても密接につながっていることを実感しました。そして、人は集団を作ることで進化してきた動物であるということも強く感じました。2025年の現在、コロナの収束により通常の生活を取り戻した途端、急激に多くの事柄が動き出しました。グローバル化の再燃、生成AIの台頭、紛争、大衆迎合的な政治など、新しい混乱が始まっている気がします。
これらの事柄に対して、一つずつあり方を考えることも必要なのですが、それにもまして、根本的に人のものの考え方というものに目を向けるべきなのではないかと思います。特に、教育の場面ではそうあるべきだと思うのです。そもそも、教育はいつでも、10年先、20年先を思い、今の若者が何を学んでおくべきなのかを考えます。彼らがいずれ成長することを考えると、それはまさに国や世界を作ることにつながっているからです。
そうだとすると、やはり本質とは何かを問う姿勢はどうしても、その人の、ひいては国や世界の根幹を作るために必要です。もちろん、一つの答えを求めることを目指すのではありません。また、答えがあるわけでもないのだと思います。問い、考えること、その過程にこそ意味があるのです。
自己への問いは、他者への問いへと変化をします。それは、自己の中に考えるためのすべてがあるわけではないから当然のことです。つまり、問うことは関係性を意識することにつながります。それは、目の前にいる人との関係性だけではありません。過去の人とも、地球の裏側の人とも、未来の人ともつながりができるのです。問うことからのつながりは、深く広いものです。
先日、ブライアン・グリーンの『時間の終わりまで』という本を読みました。宇宙の始まり、エントロピー、星、物質、生命、意識、心、思考、言語、物語、信念、本能、時間、存在といったテーマを、宇宙の始まりから終焉まで関連づけて語るという壮大な話でした。すべてがつながっていることを、そのことが様々な場面や学問を通じて表現されていることを再認識させられました。
学問は細分化をして発展してきました。専門分野と言われることはまさにその表れですが、木を見て森を見ない学びは、あるはずの大切なつながりを見落とします。もちろん、森ばかり見ていると、そもそもの発展の可能性を掬い取ることができません。
世界の在り方も、時代の流れも、学びに秘められている可能性も、本質を問い、つながりで世界をとらえるという姿勢や力があるかということが大切なのだと思います。
次年度から本校は、
『本質を問い、つながりで世界をとらえる』
ことを教育目標とし、"初芝富田林スピリット"を胸に、
利晶学園中学校・高等学校
として新しいスタートを切ります。
この混沌とした現代を生きる力をつけるだけではなく、未来を創造する力を身につけるために、我々が時代に問う教育の在り方です。
皆様の益々のご支援を賜りますことをお願い申し上げます。